第2章 デフレを理解するためのマクロ経済学入門 (4)

マネタリーベースと為替

 前述したように、マネタリーベースとは大雑把にいって現金の総量である。マネタリーベースが増えれば、世の中に流通する現金の量が増える。すると、お金の価値が下がりモノを買うためのお金の量が増える。すなわち、物価が上昇する。逆にお金の量が減ると、お金の価値が上がり物価が下がる。これは先に述べた通りである。感覚的に言えば、量が多いものは価値が小さく、量が少ないものは価値が大きいということになる。お金がモノに対して価値が上がれば物価は上がるし、価値が下がれば物価は下がる。
一方、ほかの通貨(例えばドルなど)に対してはどうだろうか。ほかの通貨に対しても同様な動きとなる。すなわち、円がドルに対して相対的に価値が高くなれば円高ドル安になるし、逆に円の価値が下がれば円安ドル高になる。

 そうなれば、為替と言うのは、ドルの総量と円の総量で決まってくるということになる。それを示したのが図9である。図9は、円の総量(円のマネタリーベース:Mb[円])をドルの総量(Mb[ドル])で割ったものと実際の為替の推移を示したものである。このグラフは、アメリカの有名な投資家であるジョージ・ソロスが作成して発表したので、ソロス・チャートと呼ばれる。これをみると、このグラフの開始年である1987年から、2001年頃までは、マネタリーベースの比と為レート替は連動して動いていることがわかる。このように、ソロス・チャートは為替レートを説明に使われる。
一方で、2002年以降は乖離しているのがわかる。これは、日銀やFRBが量的緩和という金融緩和政策を行ったためなのであるが、これをもって、もはやソロス・チャートは使えないという意見もある。したがって、そういう人は日銀がマネタリーベースを増やしても為替レートへの影響は限定的であると、日銀の量的緩和に否定的なスタンスをとる。これに関しては、安達誠司氏が著書「円高の正体」の中で、修正ソロス・チャートというものを提案しており、安達氏が詳しく説明しているので、興味のある方は「円高の正体」を読んでいただきたい。

量的緩和とは

 量的緩和について少しふれたので、ここで説明しよう。量的緩和とは、中央銀行が行う金融緩和政策の一つである。

 まず、日本銀行が、市中の銀行が保有する国債を購入する。日本銀行が、国債を購入するためにはお金、すなわち日本銀行券が必要だが、日銀は日本銀行券を発行することができるので、国債を買う際には、日本銀行券を新たに発行して国債を購入する。では購入した時に支払うお金はどうするのかというと、市中の銀行が、日銀に持つ口座に振り込むことで市中銀行に支払うという形をとる。市中の銀行が日銀に持つ口座の残高のことを日銀当座預金残高といい、量的緩和とは、このような過程を経てマネタリーベースを増やすことを言う。実際には、国債以外の債券も購入するが、原理は同じだ。
市中の銀行は、日銀に積まれたお金を使うことができるわけだが、このようにして使えるお金が増えれば、銀行は企業に貸し出したり、金融商品を購入したりする資金が増えることになるので、市場にお金が出回りやすくなる。つまり、金融緩和になるというわけである。

 量的緩和が行われる前は、政策金利を下げることで、銀行がお金を借りやすくし、市場に出回るお金を増やすことで金融緩和を行っていた。前述したように筆者が中学生だった頃には、公定歩合が政策金利で、公定歩合を上げ下げすることで金融政策を行うと習ったが、今では、公定歩合ではなく、無担保コール翌日物の金利が政策金利として使われる。

 政策金利はゼロ%にしてしまえば、それ以上金利をさげることはできない、いわゆる流動性の罠にはまってしまう。流動性の罠から抜け出す方法として考えられたのが、この量的緩和である。金利を調節しておこなわれる金融政策は、昔から行われてきた手法なので、伝統的な金融政策と呼ばれる。これに対して、量的緩和のような金融政策は非伝統的な金融政策と呼ばれる。

 中央銀行が量的緩和を宣言すると、先ほど述べたようなメカニズムにより、市場の予想インフレ率が上昇する。これを前述した金利の話から考えよう。実質金利と名目金利の間の関係は、

 実質金利=名目金利―(予想)インフレ率

であった。すると、名目金利(ここでは政策金利の名目ではなく、市中の金融機関等がやり取りする際の名目金利)が、例えば、5%であっても、予想インフレ率が2%であれば実質金利は3%となり、予想インフレ率の上昇が実質金利の低下をまねく。結果として貸し出しが増え、経済が活性化されるという仕組みだ。つまり、インフレになれば、実質金利がマイナスになるので、持っているだけでは損をすることになるので、運用して損しないように努めるからである。

 しかし、マネタリーベースを増やしても、日銀の当座預金残高が増えるだけで、市場にお金が出回らなければマネーストックは増えない。マネーストックが増えるためには、市中の銀行が、日銀の口座に積まれた資金を使うことが必要となる。

 普通、銀行は資金に余裕があると、国債などの債券を買ったり、株で運用したり、企業に融資することで利益を得ようとする。なぜなら、日銀に預けてある資金は利子もほとんどつかないからである。したがって、当座預金残高は日銀が定める割合の最低限のレベルで日銀に預けておく。

 市中銀行の当座預金残高の準備率は日銀が定め、預金準備率と呼ばれる。これは、銀行が保有する預金の一定の割合を日銀の当座預金に保有しなければいけないのだが、その割合のことを言う。例えば、預金準備率が1%で、ある銀行が1000万円のお金を預かったならば、その銀行は最低10万円は日銀の口座に預けなければならない。預金準備率を引き上げると、銀行は保有する預金のうち債券購入や融資にまわせるお金が減るので、金融引き締め的になり、預金準備率を引き下げると、逆に、市中に出回るお金の量が増えるので、金融緩和的になる。このように、預金準備率を操作することでも金融政策を行えるのだが、日本の場合、預金準備率も低水準にあるのでこの方法による金融緩和も難しい。

 2001年の量的緩和を開始する前までは定められた預金準備率の最低水準の当座預金残高で推移してきたが、2001年からの量的緩和時には、預金準備率よりも多い量の当座預金残高となった。つまり、超過準備となり、マネタリーベースの伸びほどはマネーストックは伸びなかった。しかし、岩田規久男氏をはじめとするリフレ派は、マネタリーベースが伸びればマネーストックが伸びるという単純な貨幣数量説を主張しているのではない。量的緩和により、予想インフレ率を引き上げることによる効果を主張している。これについては後述する。

量的緩和の効果

 では、量的緩和の効果はあったのだろうか。すなわち、量的緩和により物価の上昇や景気が良くなったのであろうか。

 それを知るためには、税収をみると良い。特に法人税だ。なぜなら、法人税は企業の利益にかかる税金なので、法人税による税収が増えるとなれば、企業の利益が増えたと言えるからだ。

主要税目の税収推移
図10 主要税目の税収推移

 日銀の量的緩和は2001年3月~2006年3月まで行われた。速水総裁のときである。この期間を念頭に置いて図10を見てみよう。図10は税収のうち主な税である所得税、法人税、消費税による税収の推移を比較して示したグラフである。法人税は2002年から2006年にかけて増加している。このころはちょうど所得税も見てみると、2006年に減少したものの、2002年から2006年においては増加傾向にあった。これはすなわち、この時期において景気が良くなり、企業の利益が増加し、給与額も増加したことを意味する。この時期はちょうど日銀が量的緩和を行った時期と重なる。ただし、量的緩和は2001年から行われたが、法人税や所得税の増加は2002年からとなっており、遅れている。これは、量的緩和の効果が出始めるのには時間がかかるためである。したがって、私は量的緩和には景気を回復させる一定の効果はあったと考えている。しかし、当時は、いざなぎ景気の期間を越えたものの「実感なき景気拡大」として騒がれた。その理由の一つとして、現金給与額が伸びなかったということが挙げられる。現金給与総額をみてみても(図省略)、2000年から2011年までの期間では減少傾向にあることがわかる。量的緩和の期間内でみると、量的緩和の機関の後半である2004年から2006年にかけては上昇傾向にあるが、その伸びは少ない。民間企業においては、企業の利益が伸びたら、まず経営陣の給与を上げようとするだろうから、実際には会社員などの被雇用者の給与は上昇しなかったと考えられる。そのため、実感なき景気拡大と言われたのであろう。もし、好景気が続いたならば、給与も増加していったと考えられるが、好景気は2007年で終わってしまった。

 また、図11を見ればわかるように、国内総生産の推移でみても量的緩和の時期は実質・名目ともに伸びている。

日本の名目GDPと実質GDP
図11 日本の名目GDPと実質GDP