第2章 デフレを理解するためのマクロ経済学入門 (5)

量的緩和の解除

 以上より、量的緩和は間違いなく、景気回復のもたらした要因の一つと言って差し支えない。しかし、その景気回復は十分であったとは言い難い。それは、現金給与額の伸びが小さいというだけでなく、インフレ率を見れば明らかである。 
日銀は、2006年に量的緩和を解除する際、「消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率が4か月連続でプラスとなり、デフレ脱却は確実と判断」して解除に踏み切った。これは明らかに間違いであった。なぜなら、インフレ率には実際の値よりも高めに値が出る性質があるからである。インフレ率を考える際には常に、上方バイアスを考慮しなければならない。
 これまでも使ってきた言葉だが、インフレ率とは、消費者物価指数の上昇率のことである。消費者物価指数は、家計消費支出の割合の大きいものから指数に採用する品目を選び、その価格を基準年を100として、基準年の家計消費支出割合のウェイトで加重平均して算出される。基準年に価格が高いものはその後節約し、割合が減るが、算出に用いるウェイトはそのままであるので、基準年から外れるほど、消費者物価異数は高めに出る(高橋洋一「高橋教授の経済超入門」p33)。基準年の改定は5年ごとに行われ、2011年が改定の年であり、2010年基準に改められる。そして、量的緩和を解除した2006年も消費者物価の基準年の改定の年であり、もっとも情報バイアスがかかりやすい時期であったと言える。改定の年である2006年の1月から6月にかけては改定前である2000年基準の消費者物価指数と、新たな2005年を基準年とした消費者物価がともに発表されているので、どのくらい上方バイアスがかかっているのかを知ることができる。2000年基準のインフレ率と2005年基準のインフレ率を比較して示したものが表4である。比較すると、0.5ポイント程度の上方バイアスがかかっていることがわかる。

05/1206/123456
2000年基準 -0.1 0.5 0.4 0.3 0.4 0.6 1
2005年基準 N/A -0.1 -0.1 -0.2 -0.1 0.1 0.5

 日銀が量的緩和を発表した3月の段階では、2005年基準の消費者物価指数は発表されていないので、日銀は2000年基準の消費者物価指数の上昇率(つまりインフレ率)を見て量的緩和の解除に踏み切ったことになる。確かに当時知ることができたインフレ率はプラスであったもののその値は小さく、デフレから脱却できたとは到底言えない状況での量的緩和解除であったと言える。しかも、実際にはマイナスであった。
更に付け加えると、アメリカやヨーロッパ、韓国などでは、インフレ率2%程度を目標として金融政策をしており、0.3%程度のインフレ率では明らかに低すぎる。したがって、この時期の量的緩和の解除は拙速であったと言わざるをえない。しかし量的緩和によってもたらされた景気拡大は量的緩和が解除されてもすぐにはおさまらず、2008年のリーマンショックがおこるまでは、日本は好景気であった。そのため、量的緩和解除後もインフレ率はしばらくプラスの範囲内で推移した。このようにさまざまな指標をみると、量的緩和による景気回復の効果はあったと断言でき、日銀の量的緩和解除は勇み足すぎた。

アメリカの量的緩和

 これまでみてきたように、量的緩和は効果があった。だからこそ、アメリカはリーマンショック後にデフレ圧力が強まった際、QE(08年10月~10年6月)、QE2(10年11月~11年6月)と称して量的緩和を行ったのである。その結果、2008年に0.7%だったインフレ率は2009年1.92%、2010年1.62%、2011年2.47%とインフレ率は上昇に転じた。
 実質GDPの推移(図12)でみても、2009年は下がったものの、2010年には回復し、1929年の世界恐慌のときと比べても回復が早かったことがわかる。

 これは、リーマンショック後、アメリカ政府が強力な財政出動を行ったと同時に、FRBが国債を買い支えたり、住宅ローン担保証券を買うことで強力な金融政策をおこなったことによるところが大きい。このように、金融危機に陥ったとしても、政府による財政政策と中央銀行による金融政策の歯車ががっちりとかみ合って経済政策が行われれば、金融危機による傷は浅くすむのである。アメリカは世界恐慌の時と同じ轍を踏まなかったのである。

世界恐慌後とリーマンショック後の実質GDPの推移

世界恐慌:1929年の実質GDP=100
リーマンショック:2008年の実質GDP=100 として計算
横軸の0はそれぞれ1929年、2008年に対応する

図12 世界恐慌後とリーマンショック後の実質GDPの推移

量的緩和に対する否定的意見

 このように、量的緩和の効果は明らかなのであるが、それでもやはり量的緩和の効果に懐疑的な意見も根強い。そのうちの一つに「マネタリーベースを増やしても、銀行が貸し出しを増やさないので市場にお金が回らず意味がない」というものがある。特に、一部の経済学部の人に聞くと、量的緩和には懐疑的な人が多い。私が経済学部にい

る先輩に「なんで日銀はもっとお金を刷って市場に供給しないんですかね」と聞くと、「それって危ない考えじゃないの?」と切り返された。理論的な反論がなかったので、その大学の経済学部では、量的緩和については効果がないような印象で説明されたのであろう。ほかにも、同じ大学の経済学研究科の院生からも量的緩和に対して否定的な意見を言われたことがある。しまいには、「アメリカやヨーロッパのような経済が良いのか!」と言われてしまった。私は単に、中央銀行がデフレにならないようにきちんと仕事をすればいいと言っているだけなのに、なぜか印象論で語られてしまう。しかしその院生はミクロが専門だというのでやむを得ないのっかもしれない。

 確かに、量的緩和初期においては銀行の貸し出しは増えない。それはデータから見ても明らかであるが、その理由は、量的緩和によってもたらされた景気回復期においては、企業は銀行から借りるよりも、まず内部留保を切り崩すことで設備投資を行おうとするからである。デフレ期にため込んでおいた大量の内部留保があるので、これをまず使う。銀行の貸し出しが増えたのはそのあとで、2005年からである。

 歴史的に見ても言える。昭和恐慌から脱出する際、大蔵大臣である高橋是清は、日銀に直接、国債を引き受けさせ、日銀のマネタリーベースを拡大させた。これは1931年のことである。その後、すぐに、為替は円安に振れ、株価は上昇し、消費者物価も上昇したが、銀行の貸し出しが増えたのは1934年に入ってからである(安達誠司「円高の正体」p195)。したがって、量的緩和したからといって、銀行の貸し出しが増え、マネタリーベースの拡大がすぐにマネーストックの拡大につながるというような単純な貨幣数量説を唱えているわけではない。

量的緩和によるデフレ脱却のプロセス

 ここでは、量的緩和により、予想インフレ率を押し上げることによって、円高是正・デフレ脱却に至るまでの過程を安達誠司「円高の正体」p190~193からの引用させていただく(一部著者の意見も挿入)。日銀の量的緩和によりどのようにして円安とデフレが脱却されるかの流れを示したものである。

(1) 日銀が、マネタリーベースを十分に供給しつづける。つまり、日銀が銀行の当座預金口座に現金を十分に供給しつづける。(しばしば、テレビで日銀がブタ積みと言われるが悪いことではない)
(2)すると、銀行は当座預金口座に積みあがった資金はそのままにしておいても利益がでないので、株や外債での運用を増やすそうとする。

(3)(2)と同時に市場関係者はソロスチャートの事をしっているので、円安に振れるだろうと予想する。

(4) (2)とほぼ同時に、銀行が起こした株高と円安を目にした一般投資家が株式投資と為替取引を活発化させ、さらに株高と円安が進む。
(5) (4)の期間が、日銀のマネタリーベースを増額することが続けば、株高と円安によって、(銀行を含めた)投資家に株の運用益と為替差益が入り、かつ輸出企業と輸入競争産業の収益が改善しはじめ、景況感が改善し、日本全体の予想インフレ率が上昇し始める、
(5) 日本全体の予想インフレ率の上昇がはじまり、さらに日銀のマネタリーベースの増額がそれを後押ししつづけ景況感の改善が広がれば、日本全体の予想インフレ率の上昇が本格的なものとなり、銀行以外の一般の投資家も、株式投資と為替取引をさらに活発化させる=株高と円安にさらに拍車がかかる。
(6) 日本全体に予想インフレ率の上昇が浸透していく過程で、株価の反転によりバランスシートが改善しはじめた企業や、同時に円安によって収益が改善した輸出産業や輸入品競合産業は、(インフレ率の上昇を予想しているので)生産設備を拡張したりなどの設備投資を行ったり工場の稼働率を上げたりする。

(7)生産設備の拡張や設備投資を行うことで、当初は最初は輸出企業や輸入競争産業中心だった景況感の改善が、それらの産業周辺の取引先企業や下請け企業に波及しはじめ、日本の景況感がさらに改善し始める。

(8) 業績の回復した企業が従業員のボーナスを増額する。基本給のアップをする(=給料の回復)。そして日本全体の企業の活動が活発になる過程で、新しく雇い入れられる人も増える(=失業率の低下)。新卒採用を増やす企業も出てくる(=若年失業率の改善)。
(9) 日本全体で給料が増え、雇用情勢も改善されれば、多くの人が消費活動を活発化させる。この過程で、日本全体の予想インフレ率がしっかりと上昇し、実際のインフレ率もさらに上昇して日本はデフレから脱却する
(10) 日本がデフレから脱却し、本格的な景気回復局面に入れば、いよいよ銀行はリスクをとって、企業への貸し出しを拡大させる。これによって資金を借りられるようになった中小企業の活動が本格的に活発化することになり、日本全体での景気が回復する。

 この流れからわかるように、量的緩和を行うと(2)の段階ですでに為替は円安にふれる。そして、輸出産業や輸入競争産業の収益が良くなる。つまり、景気回復期は輸出から始まるのである。