第2章 デフレを理解するためのマクロ経済学入門 (6)

為替の決定理論

 今の日本は、歴史的に見ても円高で、円高は日本には悪影響をもたらす。その結果、輸出の減少や輸入競争産業の利益減少がもたらされる。結果、電機メーカーの赤字化やエルピーダの会社更生法適用など大手であっても極めて厳しい経営が迫られることになる。

 ここではまず、為替がどのように決定されるかの決定理論の基礎について説明する。FXをやっている人は常識だと思うが、しばらくご辛抱いただきたい。またFXをやろうとする人は知っておくべき知識である。ただし、片手間にFXをやろうと思っている程度ならば、FXはお勧めしない。

 為替のニュースになると、「欧州の債務危機への懸念から、円買いが進み、昨日より50銭円高の1ユーロ105円36銭」などとキャスターが読み上げる。為替レートの動きを報道する際には、なにかと理由をつけて動きを説明しようとする。しかし、「欧州の債務危機」というのは今に始まったことではないし、そもそも、円はユーロに対してもドルに対しても円高なのであるから、その説明では不十分である。ニュースで流れる為替レートの動きの説明は事後的な理由づけであり聞くに値しない。

 ほかにも、金利差に注目して説明されることもある。投資家が円買いやドル買いに走るのは、円で持っていた方が得をするから、あるいはドルを持っていた方が得をするからである。そのときの「得」とは何のことかと言うと、金利のことである。円の方が金利が高いなら円を買うし、ドルの方が金利が高いならドルを買う。しかし、ここでいう金利とは何のことだろうか。あまり触れられることはない。10年物国債の金利で説明されることもあるが、そうでない場合もある。極端に言えば、どの金利でもいいのだけれども、その投資家が国債で運用していたら、アメリカの国債の金利が下がって日本の国債の金利が上がれば日本国債を持っていた方がお得なので日本国債を買う。その際に日本円を買うことになるが、こうした投資家が増えれば、為替は円高に振れるわけである。

 しかし、大事なのは名目金利ではなく、実質金利で見るということだ。為替レートの決定式は、日米の予想実質金利差で表される。

 日米予想実質金利差=日本の実質金利―米の実質金利
 日米予想実質金利差=日本の名目金利―日本の予想インフレ率―(米の名目金利―米の予想インフレ率)
 日米予想実質金利差=日本の名目金利―米の名目金利―(日本の予想インフレ率―米の予想インフレ率)
 日米予想実質金利差=日米の予想名目金利差―日米の予想インフレ率差  (3)

 投資家は当然のことながら、実質金利が大きい方に投資するであろうから、日米予想実質金利差が大きくなる、すなわち、日本の実質金利大きくなったり、アメリカの実質金利が小さくなると、円高・ドル安になる。国債にしろ、預金金利にしろ、これらの金利は中央銀行が定める政策金利に大きく依存する。政策金利が高くなれば、国債や預金の金利は高くなるし、政策金利が下がれば、国債や預金の金利は小さくなる。現在、日本銀行が政策金利としている無担保コール翌日物の金利は0~0.1%で、アメリカのFRBが政策金利としているフェデラルファンド金利(FF金利)は0.25%でともに0%に近く、2009年以降変更されていない。事実上のほぼゼロ金利政策である。そうなると、先ほどの為替レートの決定式(3)で重要になってくるファクターが日米の予想インフレ率差である。つまり、日本のインフレ率が小さく、アメリカのインフレ率が大きくなれば、為替レートは円高・ドル安になるということである。リーマンショック以降、一貫して円高が続いたのは、FRBによる量的緩和の影響により、アメリカの予想インフレ率が上がる一方で、日銀が金融緩和を行わなかった(行ったとしても、FRBに比べ微々たるもの)であったため、日米の予想インフレ率差が小さく(あるいはマイナス幅が拡大)したため、日米の予想実質金利差が拡大し、円高・ドル安になったのである。

 このように考えると、今円高円高と盛んに叫ばれているが、円安にすることはたやすいことだということがあわかる。日本もアメリカのように金融緩和を進めればいいだけである。先ほど述べたように、デフレから脱却してもいないのに量的緩和を解除したり、口先だけで強力な金融緩和を続行などといっていてはいけない。投資家は確実にマネタリーベースの推移を観察している。例えば次のようなニュースをみてどう思うだろうか。このニュースは2011年3月におきた東日本大震災後に報道されたものである。

 日本銀行は3月18日、金融機関が日々の資金をやり取りする短期金融市場に、24日までに計11兆1500億円の資金を供給すると発表した。大量資金供給は5日連続となり、日銀がこの5日間で供給を決めた資金総額は約82兆円に膨らんだ。

(読売新聞 2011年3月18日)

 

 総額82兆円もの資金供給である。当時のマネタリーベースが100兆円程度であることを考えると、大規模な金融緩和だと思う人もいるのではないだろうか。決して騙されてはいけない。日銀が資金を供給したのはあくまでも短期金融市場である。カラクリはこうだ。

 例えば、1日目に20兆円の資金を供給する。短期市場なので、資金を借りた金融機関は例えば翌日には返済しなければならないとする。すると、2日目には20兆円は再度日銀に戻ってくる。と同時に2日目も20兆円の資金を供給する。これで総額40兆円の資金供給となるが、市場には20兆円しか資金は供給されていない。これを5日間繰り返せば、総額100兆円の資金供給となるが、実際に供給された資金は100兆円には遠く及ばない。実際にマネタリーベースを見てみると、2月101兆円、3月112兆円と3月は、11兆円しかマネタリーベースは増えていない。4月にはもう少し緩和して、122兆円まで増やしたが、5月には再び114兆円まで減らすという金融引締策を行った。大震災後の資金繰りが苦しい中の引き締めは愚かと言わざるを得ない。122兆円のマネタリーベースをキープするならまだ及第点ぐらいつけても良いが、これでは落第である。

 このときの日銀の金融政策をもって、「日銀はよくやった!すばらしい!」と褒めたたえるのはお門違いも良い所だ。

日本の輸出は少ないから円高の影響は少ない?

 「量的緩和によるデフレ脱却のプロセス」では、景気回復期には円安により輸出産業が先導するかたちで景気が回復することを指摘した。しかし、エコノミストやアナリストの中には、「日本は輸出依存は韓国やドイツに比べて低いから円高で輸出が減っても影響は少ない。だから円高は問題ない」というようなことを平気で述べる人がいる。
しかしそれは真っ赤なウソである。確かに、日本の輸出の対GDP比(2009年基準)は韓国、ドイツよりもはるかに小さく、アメリカよりも小さい(表5)。日本の輸出の対GDP比が25%だからといって、輸出がすべてなくなった場合は、GDPが単に25%減るだけなのだろうか。それ以上に減るのは間違いない。なぜか。

表5 各国の輸出の対GDP比

日本韓国アメリカ中国イギリスドイツ
24.8% 95.9% 25.1% 49.1% 57.7% 76.7%

 それは、輸出企業にモノやサービスを売っている企業があるからである。たとえば、単純にテレビをつくるだけでも、液晶やら半導体やら様々な部品が必要となる。それらのうち一部は国内企業から仕入れているであろうから、輸出企業を取引相手とする企業にも影響が及ぶ。さらには、その企業にモノやサービスを売る企業にも影響がおよび・・・と連鎖的に影響が出る。テレビをとってみても、半導体が必要だし、半導体をつくるには半導体製造装置が必要である。半導体製造装置をつくるにはクリーンバルブなどの部品が必要で、その部品を作るには材料が必要である。単純にこれだけ考えてみても影響は大きい。さらには、そこで働く社員の給料が下がれば、輸出していない企業のモノやサービスが売れなくなっていき、影響はさらに拡大する。

 これは、逆に言えば、外需によって内需が喚起されるということを意味する。つまり、輸出が増えることで、輸出企業が製造ラインを拡大することでモノやサービスを買うようになるのである。しばしば、デフレ策として、内需を呼び起こすような政策(エコポイントやエコカー減税など)が必要だと言われるが、それと同時に、輸出を増やすための円安に誘導する政策も必要なのである。

 さらにもっと言うと、リスクヘッジの観点からも輸出は大事な要素である。例えば、韓国の輸出依存が大きいことに対して、次のような報道がある。

韓国経済の対外依存度の高まりは、対外的な不安要因に対する脆弱性の拡大を示すとも言える。米国や欧州の財政不安などで、世界経済が悪化する場合、輸出に影響が出て経済成長が鈍化する恐れがある。
(WoW! Korea 2011年8月14日)

 つまり、先行きが不透明な世界経済に依存しているから不安定だということである。しかし、逆に内需だけに依存する方が危険なのではないだろうか。国内の景気は良いときもあれば、悪いときもある一方で、仮に世界的な不景気がおとずれたとしても、全ての国の景気が悪いということはまず考えにくい。リーマンショック後でも、中国の経済成長の落ち込みは先進国と比較して極めて小さかった。国内の内需が頼れないときの外需頼みは至極当然なのではないだろうか。輸出に依存するということは、国内の景気の波の大きさを小さくするための予防策といえる。

 そもそも、円安が経済に良い影響を与えることはデータをみれば、明らかである。図13に為替レート(ドル円)と日本の名目GDPの関係を示した。量的緩和開始直後の円安にふれた2001年を除いて、為替が円安になると、名目GDPが伸びていることがわかる。確かに、円高は輸入産業などでは良い影響をもたらすかもしれないが、日本全体としては、円安の方がプラスなのである。それは、各国の様子を見てもわかる。アメリカは量的緩和でドルをどんどん市場に供給し、ドルの価値を下げているし、韓国も輸出産業を盛り上げるためにウォン安政策をとっている。

為替と名目GDPの関係
図13 為替と名目GDPの関係

 また、中国やブラジルはドルとのゆるやかな固定相場制をとっており、FRBがドルを刷れば中国は元を刷るし、ブラジルはレアルを刷ることになる。ECB(欧州中央銀行)もリーマンショック後マネタリーベースを拡大して金融緩和を行った。一方日銀はリーマンショック後の金融緩和の規模はこうした国々に比べ極めて小さく、その結果、どの通貨に対しても円高となってしまったのである。
スイスはユーロに加盟していないが、安全な資産としてのスイスフラン買いにより、スイスフラン高で苦しんでいた。そこで、2011年9月に、スイスの中央銀行であるスイス国立銀行は、スイスフラン高を阻止するために無制限介入を開始すると発表した。あまりにも高すぎるスイスフランを是正するための策であった。こうして、スイスフラン高も一定の歯止めがかかった。

 ここで賢明な読者は日本も幾度となく為替介入をやっているじゃないかと思うかもしれない。為替介入には「不胎化」と「非不胎化」という二種類がある。財務省が為替介入を行う場合、政府短期証券(FB)を発行して資金を調達しそれを元手に円売りを行い急激な円高を阻止する。「不胎化」では、マネタリーベースは増えず、物価の上昇はほとんどなく、インフレを〝胎化〟させないので「不胎化」と言うらしい。「非不胎化」とは、財務省が発行した短期証券の一部を日銀が紙幣を発行して買い取って行う。すなわち、マネタリーベースの拡大を伴うので、インフレを引き起こしやすい介入と言える。ここまで読んできた方はお分かりだろうが、マネタリーベースの拡大を伴わない不胎化介入では、円高是正の効果は限定的である。現在では、財務省が市場でさばききれなかったFBは日銀が買い取るので、非不胎化ではあるのだが、その量がわずかなら非不胎化介入では一時的な円高を阻止できても数週間後、数か月後には戻ってしまう。2011年にも何度も財務省は為替介入を行ったが、それでも円高が更新されたのはマネタリーベースの拡大を伴っていなかったからである。日銀は、ようやく、10月から11月にかけて若干のマネタリーベースの拡大を伴う為替介入を行ったが、それでも1ドル80円よりも円安にすることはできなかった。

 一方で、2012年2月14日に、日銀は10兆円の追加金融緩和を発表した。同時に、物価の安定目標として1%という具体的な値を示した。このことで、2月13日には1ドル77.56円だったレートが、3月5日には1ドル81・76円となり、4円以上も円安となった。これほどまでに中央銀行の影響力は大きいのである。